日本国有鉄道D50形は、1923年(大正12年)から1931年(昭和6年)の間に380両が製造された国産の貨物用テンダ型蒸気機関車です。製造会社は、川崎造船所(198両)、日立製作所(80両)、汽車製造会社(69両)、日本車両製造(33両)の4社で、1928年(昭和3年)以前に製造された車両は当初9900形とされ、1928年(昭和3年)の車両称号規程の改正に伴ってD50形となりました。車両称号規程の改正以降に製造された車両は当初からD50形とされています。
本形式は、誕生当時我が国の蒸気機関車の中で最大かつ最強の機関車でした。大正時代末期から順調に増備が続けられてきた本形式でしたが、昭和4年(1929年)ごろの世界恐慌のあおりで我が国経済が低迷したことに伴って貨物輸送量が減少したため、本形式の製造は380両で打ち切りとなりました。
軸配置は1D1型。すなわち、まず先輪が1つあって、その後に4つの動輪があり、最後に従輪が1つ配置された形態です。動輪の大きさは直径1400ミリメートル、先輪と従輪の大きさは直径860ミリメートル、石炭積載量は8.12トン、水タンク容量は20キロリットルでした。設計上の動輪周り出力は1230馬力で、それまでの主力貨物用蒸気機関車の9600形蒸気機関車の約850馬力と比較して約40%強力になっています。
機関車重量の軽減策として当初はピストン棒などにニッケルクロム鋼を使用していましたが、耐久性に問題があったことからカーボンバナジウム鋼に変更され、戦後はさらに炭素鋼のものに交換されています。
本形式のうち78両が、1951年(昭和26年)から1956年(昭和31年)の間に軸重軽減のため従輪を1軸追加した1D2型のD60形蒸気機関車に改造されました。D51形蒸気機関車の陰に隠れて目立たない貨物用蒸気機関車でしたが、1970年代まで永く使われました。